易経「繋辞下伝」を読み解く30

易経繋辞伝
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易経「繋辞下伝」を読み解く29
繋辞下伝第6章第1節

易経「繋辞下伝」を読み解く30

それ易は、往(おう)を彰(あき)らかにして来(らい)を察し、微(び)を顕(けん)にして幽(ゆう)を闡(ひら)き、開きて名に当て、物を弁(わきま)え言を正しくし、辞を断ずれば備わる。その名を称するや小にして、その類を取るや大なり。その旨遠く、その辞文(かざ)る。その言曲(つぶさ)にして中(あた)り、その事肆(つらな)りて隠(かく)る。貳(じ)に因りて民の行を済(すく)い、もって失得の報を明らかにす。(繋辞下伝第6章第2節)
「それ易は、往を彰らかにして来を察し、微を顕にして幽を闡き、開きて名に当て、物を弁え言を正しくし、辞を断ずれば備わる。その名を称するや小にして、その類を取るや大なり。その旨遠く、その辞文る。その言曲にして中り、その事肆りて隠る。貳に因りて民の行を済い、もって失得の報を明らかにす。」

「そもそも易とは、過去を明らかにして未来を察し、微かな兆しをあきらかにして、ぼんやりと見通せない物事をあらわし、広くその解釈を易の卦象に求めその卦名に当てはめ、事象を整理し、言葉を正し、卦辞や爻辞にその断の根拠を求めれば、その時取るべき行動が詳らかになるのである。

その卦名や卦辞、爻辞の意味する言葉は狭義であるが、名や言葉に拘らず、広く卦象を自由闊達に解釈すれば、その表すところは広大である。

易経がさし示すその意義は奥深く含蓄に富んだものであり、その辞は事物を一辺の布地の模様のように紡ぐ。

その辞はこまごまとした比喩や隠喩に富むがそれぞれが的を得ており、その辞の背景に事柄がつらなって隠れている。 貳 (=二・吉と凶、悔と吝)によって人間の取るべき行動を指し示し、正しい事に対しては吉を持って応じ、不正な事には凶を以て応じることで、その時に応じ取るべき行動を「悔・吝」と明らかにし、その取るべき行動を促しているのである。」

現代でも通用する易経の“俯瞰的視点”

6章は、繋辞上伝と下伝と易経を読み込み、辞をかけた周の文王の姿に自身を重ね合わせた時に、改めて孔子自身が氣付いた易経への畏敬の念が、深い感慨とともに綴られている章です。

この節も、既に上伝で孔子自らが易経とは…と述べてきたことの再現であり、前節との繋がりを考えれば「衰世」2文字に込められた文王の苦難、苦労と遺した業への畏敬の念と、自らが生きる乱れた世にあって、いかに易経を活かし天下万民を教導していくべきかに、その決意や思いを新たにする孔子の決意と言った念も込められていると感じられます。

これまで読み解いてきた孔子の易の卦象に事物の発明、発見の根拠を求めるにしても、単に卦にかけられた卦辞、爻辞にとどまらず、卦象を構成する上下の八卦から想像してみたり、卦象にふくまれる互体、之卦、前後の卦象等、じつに一つの卦象を自在に、法則にとらわれることなく自由に操り、その大意を探る過程を繋辞上伝においては第8章で、下伝においては第5章で論じています。

この易経に対する視点は易占上重要な視点や技術の一つであり、一方で易経を生活にとどまらず、時代の流れのような長期的視野に立った時、現代でも十分通用する鋭い着眼点を養うに適しています。

下伝第6章は、孔子自身が氣付いた易経の深い真理、勿論それに通達していた過去の聖人たちへの畏敬の念と共に、自身の至った境地を後世に伝えるべく、紡がれた一節であると想像します。後世の学者はこの章は「文章の誤りや脱字や誤用が多い」と評するが、おそらく孔子は思いつくままに筆を運んだ感動的な章であると感じています。

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