徐福伝説の真偽
中国を統一した始皇帝を手玉に取った人物として名高い「徐福」という方士(選任を目指して仙術の修行をした人物)がいます。
徐 福(じょ ふく、拼音: Xú Fú、生没年不詳)は、秦の方士。斉国の琅邪郡(現在の山東省臨沂市周辺)の出身。本来の表記は徐巿(じょふつ)。日本に渡来したという伝説があるが虚構として知られている。しかし、この伝説が日本に伝わって徐福の渡来という多くの創作が作られた。
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絶大な権力を有しながらも、手に入れられなかった始皇帝の最後の願いが不老長寿。
徐福が本気で不老長寿の仙薬を探しに船出をしたのか、秦に滅ぼされた斉の人であった徐福が、始皇帝から莫大な渡航費をねん出させることで、意趣返しを行ったのか?
このあたりの真意は不明ですが、『史記』を見る限り、徐福なる人物が実在し、仙薬を求めて東方に船出したということは史実であるようです。
徐福が実在の人物であったということだけは、史実を厳格に書き留めた司馬遷の『史記』の正確無比ぶりを鑑みれば、信じるに足る話だろう。問題は、徐福が果たして日本に渡来したかどうかであるが、こればかりは定かではないとしか言いようがない。
歴史人
日本各地には徐福伝説や徐福の墓が残されていて、その数は30数か所に上ります。
各地に伝えられる徐福伝承地は、佐賀県伊万里(いまり)市、武雄(たけお)市、佐賀市、福岡県八女(やめ)市、鹿児島県串木野(くしきの)市、京都府伊根町、和歌山県新宮(しんぐう)市、三重県熊野市、愛知県熱田神宮、静岡県清水市、山梨県富士吉田市、東京都八丈島、青ヶ島など30数カ所もあるとされている。
歴史人
徐福が始皇帝を巧みに説得して編成された渡航団。その規模は3000人から5000人と言われていますから、当時の船にして50隻以上の大船団であったようです。
数年たっても、神仙どころか妙薬さえ見つけることができなかった。無垢の童男童女を数千人伴い、莫大な費用をかけた挙句のことである。始皇帝から叱責されることは間違いなかった。方士といえども、効験なき者は死罪と決まっていたからである。 そこで一時帰国した徐福は、「大きな鮫(さめ)に邪魔されてたどり着くことができなかった」と偽りの報告をした上で、あらためて弩(いしゆみ)の名手を同道しての再渡航を願い出たのだ。おそらく、始皇帝5度目の巡行時のことだろう。 今度は童男童女に加え、弩(いしゆみ)の名手たちも多数加わった。これに五穀工人(技術者)や船員たちも含めると、おそらく3000人規模に膨らんだはずである。仮に当時の船の乗船人員を50人と推測すれば、60隻前後もの大船団になるはず。なんとも大掛かりなものであった。
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ところで、徐福が渡来した時代から下りますが、日本の古代史に大きく影響力を残した「秦氏」。
「秦」という姓から想像するに、明らかに大陸からの渡来人でありこの一族が日本の農耕技術や文化発展に大きく寄与すると同時に、今も尚その血筋が陰然と現代まで日本という国を背後から操っているといわれています。
果たして徐福は日本に渡来したのか?それとも伝説に過ぎず、徐福を中心に東方を目指した一団の一部が日本にたどり着いたのか?
占的「徐福は日本にたどり着いたのか?」
立卦及及び卦象
本卦「火沢睽」、之卦に「沢水困」を得ました。
本卦は叛く。面従腹背で始皇帝をたぶらかし、巨額の渡航費用をせしめた様子でしょうか?
之卦は干からびる…で不老長寿の仙薬は見つからず、徐福のその後も蒸発したかのように行方がわからない様子です。
用神は応爻でとります。世爻が中国で、応爻が日本です。
初爻に応爻が現れ父母を帯びます。父母は船の象意があるので,徐福の船団が日本にやって来た様子を表しています。
ただし応爻は官鬼を化出。なんらかのトラブルがあったことを意味します。初爻は白虎を帯び、伝説では成果ないまま帰国した徐福は、始皇帝に「途中,獰猛なサメに襲われた」と弁解し,今度は弩の名手を引率して再出航します。
父母は上爻で再現しているので、徐福の航海は複数回行われている様子です。
世爻と応爻の間の間爻は三爻は青龍を帯びる兄弟。青龍は若い、純粋という象意、伝説上の純真無垢な少年少女を引き連れていく様子です。
二爻は官鬼を帯び、官鬼=武器よりサメ退治に引率した弩の名手を表します。
世爻である四爻の子孫の酉(金)が徐福。子孫に神仏の意味があるので、仙人を目指す方士という立場にあった徐福。朱雀を帯び、言葉巧みに始皇帝を説得します。
五爻が始皇帝。兄弟を帯び、破財の星を帯びるので、仙薬を求めて徐福に多額の渡航費を渡します。五爻は子孫を化出して、不老長寿の仙薬を求める様子。ただし五爻は勾陳を帯び、曖昧,ぼんやりの象意から、蓬莱山を含め不老長寿の仙薬の伝説は出所不明です。
徐福は日本に到達したのか?
徐福の之卦にある亥(水)は初爻の巳(火)と冲の関係にあります。ここから見るに、一回目の渡航は伝説にある通り日本に到達せず。初爻は合住するので船が遭難したか、トラブルが生じて帰国します。
しかし、之卦においては寅亥の合となるので到達したと見る事ができます。
応爻が初爻に現れ、日本列島を当てはめて考えるならば九州地方
ただし上爻も合住しているので、順調な航海とは言えず、嵐などの影響で漂流して偶然九州のいずれかの地に流れ着いたのではないでしょうか?
卦身が二爻の卯(木)。上爻の化出未(土)は、亥卯未(木局三合)の墓となるので、結果として徐福は日本にたどり着いたと断じます。
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