”情(なさけ)”無い社会
田舎の街中でも良く見るようになった冷凍食品の自販機。

人気ラーメン店の味が家庭で楽しめる…そんなコンセプトでラーメンやギョーザの冷凍自販機が街中で増殖中です。
最近では焼き芋ブームなので焼き芋の自販機も増えてきています。

ネットのニュースを模ていたら、バナーにこんな広告が表示されました。

社食の自販機のようです。
そういえば、駅中のキオスクの数も減ってきているような氣がします。
長らく都心の駅は利用していないので、都心の駅がどうなっているのかわかりませんが、山梨の県庁所在地である甲府駅は、かつて上下線ホームにあったキオスクが、駅改札構内の一か所に集約され、また上下線にあった立ち食い蕎麦の店も同様、代わりに駅のホームには食品や菓子類の自販機が設置されています。

ホームに降り立つと、立ち食い蕎麦のつゆの出汁の香りがぷんと漂って、食欲を掻き立てられた時代が懐かしく感じられますが、そんな光景を見ることが出来なくなりました。
スーパーのレジも、セルフレジが導入されたり、こうして自販機が増加している社会を目の当たりにしていると、少しずつ人と接する機会が失われ、人情の機微に触れる機会が少なくなってきていることが実感できます。

最も、地元の地域の集まりに参加すれば、価値観の違いに煩わしさを覚えたりして複雑な心境を抱くのですが、喜びも、慈しみも、いらだちも一切をひっくるめて”情”なんだと思います。

ところで、「情」という漢字は「心」に「青」と書く。
心には様々な色が有るのですが、なぜ「青」の色を充てたのでしょう?
ディープブルー
そんなことを思いめぐらしていたら、こんなイメージが湧いてきました。

心は”深淵”、自分を含めて、人の心を覗くことを生業としている経験上、その心の色はやはり十人十色です。
家のホコリがグレーになるのは様々な繊維が光の加減で乱反射して、どんな色の繊維が含まれていてもグレーになるのですが、海の色は世界共通でどこも深い青色となる。
深淵をのぞき込むとそこに自分が引き込まれるような錯覚を覚えると同時に、何かに柔らかく包まれるような感情を抱きます。
悲喜こもごもの心の色は、たぶん深淵のような深い青色をしている。そんな想像から「情」という漢字に「青」という色をあてがったのではないか?と想像します
さて、「情」は訓読みすると「なさけ」です。これを古語で解釈すると実に様々な解釈が存在する。
なさけ 【情け】
名詞
①情愛。思いやり。
出典徒然草 五九
「そのとき、老いたる親、いときなき子、君の恩、人のなさけ捨て難しとて捨てざらんや」
[訳] その(死がやってきた)ときに、年老いた親、幼い子、主君の恩、人の情愛を、捨てかねるからといって捨てないでいられようか、捨てないではいられない。
②愛情。恋情。男女間の異性を思う心。
出典徒然草 一三七
「男女(をとこをんな)のなさけも、ひとへに逢ひ見るをば言ふものかは」
[訳] 男女間の恋情も、いちずに会っている(最中だけ)をいうものだろうか、いや、そうではない。
③みやび心。風流心。情趣・風流を解する心。
出典源氏物語 行幸
「上(うへ)はその中(うち)になさけ棄すてずおはしませば」
[訳] 主上は心の中に風流心をお忘れにならずにいらっしゃる(方である)から。
④情趣。風情。趣。
出典徒然草 一三七
「垂れこめて春の行方知らぬも、なほあはれになさけ深し」
[訳] すだれを垂らして(部屋の中に)とじこもって、春の過ぎて行くのを知らないでいるのも、やはりしみじみとして、情趣が深い。
学研全訳古語辞典
想像するにおそらく「なさけ(情)」と同義の英語や外国語は存在しないのではないでしょうか?
そしてこの「なさけ」の語源をと追いかけてみたけれど、残念ながらそれを明確に説明するものは見つかりませんでした。しかし、そこでこんな言葉を思い出しました。
ナガタ ナガサキ
古語で「ナ」は「あなた」、「ガ」は接続詞で「タ」とは「楽」。つまり「ナガタ」とは「あなたが楽しい(とわたしも楽しい)」
同様に「ナガサキ」を解釈すると、この場合の「サキ」とは「幸」であり「あなたが幸せ(だと私も幸せ)」という意味となります。
そこで「ナサケ」という言葉を考えてみると、「ナ(あなた)」「サケ(幸)」ではないか…と。あくまで想像ですが…。ただそう考えた時、どこか心が温かくなりした。
ところでネットのこんなニュース。
キリン、成田悠輔氏の「氷結」広告を取り下げ 「高齢者は集団自決」発言に強まる批判 「過度な表現あった」と説明
缶チューハイ「氷結無糖」のWEB広告に経済学者・成田悠輔氏が起用されて批判が強まっていることを受け、キリンは12日、一部の広告を取り下げたことを明らかにした。取材に対し「(成田氏の発言は)過度な表現があると判断しました」などとした。
成田氏は2021年、インターネット番組「ABEMA Prime」に出演した際、少子高齢化問題などをめぐり次のように発言した。
「唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなことしかない。(私は)けっこう大真面目で、やっぱり人間って引き際が重要だと思う」
「別に物理的な切腹だけでなくてもよくて、社会的な切腹でもよくて、過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤー(階層)で多すぎるのがこの国の明らかな問題で、まったくろれつが回っていなかったり、まったく会話にならなかったりするような人たちが社会の重要なポジションをごくごく自然に占めていて」
「消えるべき人に消えてほしいと言い続けられるような状況をもっとつくらないといけないんじゃないか」
成田悠輔氏の発言が差別表現か?という問題はさておいて、3年前の発言をほじくり返してこれに石を投げる行為もどうかと思う。
なさけなし
「なさけない」とは現代語で解釈すると「みっともない」「みじめ」…といった解釈だけれども、古語においては「つれない」「無粋」といった意味合いです。
なさけ-な・し 【情け無し】
形容詞ク活用
活用{(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ}
①思いやりがない。薄情だ。つれない
出典源氏物語 紅葉賀
「などかなさけなくはもてなすらむ」
[訳] (お前は)どうして(葵(あおい)の上を)つれなく扱うのであろうか。
②風情がない。興ざめだ。無風流だ。
出典源氏物語 夕顔
「好き給(たま)はざらむもなさけなく、さうざうしかるべしかし」
[訳] 浮気をなさらないのも興ざめであり、物足りないにちがいないよ。
注意
現代語の「情け無い」とは意味が異なる。学研全訳古語辞典
成田氏の「高齢者は集団自決」という発言も、あるいはその言葉の上げ足を取ってCMにクレームを付けるのも「なさけなし」。これは、みっともないのではなく、「無粋」あるいは「野暮」なんだと思います。

易経は確かに陰と陽のモノトーンの世界観です。しかし、その陰陽の交雑から実に巧みに様々な事象を表し、そこには人情という人の心を巧みに彩る。
そこには「吉凶」という概念の他に「悔」や「吝」という概念が彩を添えるし、陰陽の二色が織りなす交雑の果てには八卦が加わり、元の陰陽の2色に8色を加えて10色となる。
国会の審議などを見ても、賛成反対の二色であるし、成田氏の発言を巡る議論も白か黒でしかない。永遠にモノトーンの世界でドライな世界と易者の目には映ります。
占いは「吉凶」の占断ではありますが、そこで完結しない。そこから凶ならばどのようにして吉に持っていくか、吉ならばそれをどうやって大吉に誘うかを伝える、それを考え行動に移すことに意義があります。
だからこの際「吉凶」は重要ではなく、そこからいかに易神の伝える「情」を読み解くか大事だと思う。そこには必ず易神の「なさけ(あなた幸)」という激励があると思うから。だから占いの世界では「情けあり」なのです。
確かに、占いなど必要としない強い人からすれば、「易者」「占い師」などという職業はどうもカタギの職業ではなく見え、あるいは「情けない(このばあい”みっともない”という意味で)」仕事をしている…そんな色眼鏡で見られているのかもしれません。
しかし、必要・不要の白黒のモノトーンの世界に生きる現代人だからこそ、弁当に添えられた香物のような彩としての”占い”は必要と感じています。


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