易経「繋辞上伝」を読み解く7
天地と相い似たり、故に違(たが)わず。知、万物に周(あまね)くして道天下を済(すく)う。故に過(あやま)たず。旁(あまね)く行きて流れず、天を楽しみ命を知る。故に憂えず。土に安んじ仁に敦(あつ)し。故に能く愛す。(繋辞上伝第4章第2節)
天道を知り、地道に思いを致すことに人道があります。この境地に至れば、則ち道を違うことはありません。日々易の摂理を感じ、時にその辞を読み、有事に在っては占いを立てて易神の神意を識る。
例えばこのようなことだと思います。とあるご相談者様の依頼で、ご親族の適職を立占する機会があったのですが、「ご当人様の夢の実現は?」という問いに対しての得卦は「雷地豫」の不変卦を得ました。
「夢の実現は?」で得た「雷地豫」の不変。不変ですから実現には時間がかかると感じました。一方で卦辞は「 豫 =予定」で輝かしい未来と読み解けます。もちろん細部は「五行易」の解読を致しますがここでは割愛いたします。
一方で「夢の実現に当り今のワークスタイルでのご収入は?」という問いに、「地風升」と「水風井」を得ました。
「地風升」は、草原の上を自由に吹き渡る風のイメージ、一方「水風井」はたとえ濁ってしまった水も、時がたてば自然と清らかに濁りが取れてくるイメージを想像します。
「地風升」は文字通り昇り進みゆく辞がかけられており、「水風井」には「邑を改むれど井を改めず」の卦辞があります。水風井の卦辞からは、一時的な困窮や不安から夢から離れても、後ろ髪をひかれて戻ってくると読み解けます。
したがって「夢の実現には時間がかかりますが、必ず実現大成します」という占断を下したのですが、「運命」というものに思いを致したとき、運命とは それこそ電車に乗っているように 「自分の命が運ばれていく」様を漫然と受け入れることではありません。
「自ら運ぶ命」であることに意義があると考えます。ただしやみくもに運んでいては道に迷いますから、その道標として易経がある。
挙げた占例では、得た卦より感じたイメージ、そして掛けられた辞、もちろん細部まで読み込みますがそれらを総合的に組み合わせ、より確率として固く、高い方向性を断として下す。これが易経を運命に活かすということです。
天の運行と地の運行には微妙なズレがあります。
これを具体的に示せば「甲乙丙丁…」の天干は10干に対し「子丑寅卯…」の地支は12支であり、2のずれが生じます。天干も地支もそれぞれ五行を帯びますから、天干と地支の五行は土と木の組み合わせになったり、金と木の組み合わせになったりと微妙にずれが生じます。
ただしこのずれが、例えば壬(水)と寅(木)の組み合わせとなって相性の良い組み合わせを形成する時があります。
易経を含め四柱推命等の運命学、推命学では、ご自身の命式にとり優位な組み合わせの時が巡ってくる時に、天地より大きな後援を得ることができると考えます。
そしてその時を知り、行動に移すことができるのは万物の中で人間だけです。
故に易経を學ぶことで、天地の条理を識ることができればその進むべき道の選択、歩む足を運ぶ速度等を誤ることが無く、自らの命を輝かしい未来に運ぶことができるのです。
「 知、万物に周(あまね)くして道天下を済(すく)う。故に過(あやま)たず。 」
天の時を知り、地の運行を知る。その上で道を選択できるのは人間だけですが、だからこそ人間だけが自らが生を営む自然環境をより良い物に変えていくことができます。
雨露をしのぎ寒い冬を乗り越えるための住居を作り、治水で川の流れを整備したり、里山の下草を刈ったり炭を焼いたかつての営みは、自然に寄り添った、自然に適った生の営みです。その営みにより人間の生活だけでなく、山に生きる動植物、川に生きる動植物もそろってその天地の恩恵を受けることができます。
「 旁(あまね)く行きて流れず、天を楽しみ命を知る。故に憂えず。 」
易経を感じ、辞を読み、時に占う事で「命を運ぶ先」を知れば、その生き方が能動的になります。自分の命を運ぶ道を見出し選び、力強く歩んでいく。
分岐や行き止まりが多く、道標も手がかりもない状態で行き当たりばったりびくびくしながら進むのではなく、易経という「地図」を手にさながらハイキングのように天地に親しみ生を営むことがより良い人生というものです。何も心配する必要はないのです。
「 土に安んじ仁に敦(あつ)し。故に能く愛す。 」
周囲の万物に影響を及ぼすことのできる人間は、まず自分自身が幸せでなければ、他者を幸せにすることができません。ましてや他者に、自身が生を営む自然に思いを致すことは適わない。
自分が何者であるか?自分の立っているところは何処か?自分は何を為すのか?を知ったうえで、自らの命を運ぶ。そのように地に足をしっかりつけて歩むのであれば、それが自信となり他者に思いを致すことができる。
それが「愛」でありますから、何かに依存したり、何かにすがっていてはだめなのです。
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