易経「繋辞上伝」を読み解く31

易経繋辞伝
Pocket

易経繋辞上伝を読み解く30
易経繋辞上伝を読み解く30是(ここ)を以て君子、將(まさ)に爲す有らんとするや、將(まさ)に行ふ有らんとするや、これに問うて以て言ふ。其の命を受くるや嚮(ひびき)の如く、遠近幽深有る无く、遂に來(らい)物(ぶつ)を知る。天下の至(し)精(せ...

易経「繋辞上伝」を読み解く31

參(さん)伍(ご)して以て變じ、其(その)數(すう)を錯綜す。其變を通じ、遂に天地の文(あや)を成す。其數を極め、遂に天下の象を定む。天下の至(し)變(へん)に非ずんば、其れ孰(たれ)か能く此(こ)れに與(あずか)らん。(繋辞上伝第10章第3節)
參(さん)伍(ご)して以て變じ、其(その)數(すう)を錯綜す。其變を通じ、遂に天地の文(あや)を成す。

「中庸」に「与天地参」という言葉があります。

与天地参- 快懂百科
唯(ただ)天下の至誠、よくその性を尽くすことを為す。よくその性を尽くせば、則ちよく人の性を尽くす。よく人の性を尽くせば、則ちよく物の性を尽くす。よく物の性を尽くせば、則ちもって天地の化育(かいく)を賛すべし。もって天地の化育を賛すべければ、則ちもって天地と参すべし。(中庸第22章)

「天下の至誠を体現した聖人は、ただその天命の性(万物の根源にある宇宙の法則)を察してそれを尽くすものである。自分の性を尽くすということは、他者の性を尽くすということでもある。他者の性を尽くせば、物の性を尽くすということになる。物の性を尽くせば人間は、天地が万物を生成化育させる働きを理解、その働きを扶け、促進することができる。天地の生成化育の原理を理解し、その働きを扶け、促進して初めて、天地と共に立つ(天地人の三才)の人間として役割を果たすことができる。」

繋辞上伝の原文にある「参伍」は注釈によれば“交わる”や“比べる”といった形容動詞的な意味合いを持ち、これを以て陰陽の交わりと解釈しますが、この“伍”は「吾」に置き換えて読みたいところです。(孔子の掛けた辞である“伍”は“吾”を掛けたものと想像します)

また後天図においても、「五=伍」は中宮にあり、人間界を象徴します。

なんなれば、易経を活かすということは“人間”にしか成し得ない業であり、物事の変化を宇宙の法則に照らし合わせ、そこから自らの歩みや生き方、事物の構成や、物事の将来の帰結を予測しそれに合わせて行動規範を変える…、さらにそこから自らが生きる環境を整え、その結果として人間以外の他の様々な生物がその生を謳歌するという環境を整える…ということができるのは人間だけだからです。

デカルトの英語の名言(英文と和訳) | 癒しツアー

したがって原文とは逸脱いたしますが、「 參(さん)伍(ご)して以て變じ、其(その)數(すう)を錯綜す。 」の一句、「伍」は「吾」に置き換えて解釈を進めます。

「天地の生成化育の変化、“吾=人間”もその変化作用を理解しその活動に参与する。その時を表すのに、人間は筮竹を以て立筮してその変化の過程を卦象を以て知ることができる。」

「 其變を通じ、遂に天地の文(あや)を成す。 」

「 變 (変)」とは易の卦象、「64卦」であり「 天地の文 」とは、「宇宙言語」であり「アカシックレコード」であり「波動」です。

おそらく、微生物や植物はこの「宇宙言語=波動」でお互いの意思疎通を図っている。そこに人間の抱く「感情」はなく、“嵐の到来”や“日照りによる少雨”といった情報を“凶”、“順天による潤沢な日照”や“降雨後の晴天”といった情報を“吉”のように判断し、次なる行動、採るべき対策を採っている。

一方で人間は判断とは別に“善悪”“損得”といった計算が働いてしまうがゆえに「波動」を認知、理解できる人は稀です。それゆえに「易の卦象」をもってこれに準じるがため、この句の解釈「易の卦象(64卦)を通じて、宇宙の法則(波動)を表現する」

「 其數を極め、遂に天下の象を定む。 」

この自然界におけるあらゆる事象は無数にあるけれど、全てを網羅しそれを理解通暁することは、人間にとっては困難なことです。そこである程度それを分類整理することで理解を進めることができます。

「 其數を極め 」とはこの「整理、分類」にあたり、伏羲はこれを「八卦」にまとめることで人間の理解を進めるに至ります。ゆえにこの一句「(聖人・伏羲は)森羅万象を分類、整理統合の結果それを八卦に当てはめ、その八卦の組み合わせからできる64卦を以て森羅万象を表現した」

「 天下の至(し)變(へん)に非ずんば、其れ孰(たれ)か能く此(こ)れに與(あずか)らん。 」
古(いにしえ)の善く士たる者は微妙玄通(びみょうげんつう)、深くして識(し)るべからず。(老子道徳経第15章)

この一句、老子のこの一節が即妙に表現します。

老子の言う「 微妙玄通 」とは、“事に当たるに慎重であっては冬の川を渡るようであり、また四方を強国に囲まれた弱国のようである。一方で宴席に招待された客のように泰然と、時に優雅であり、またひとつのことに執着しない心は氷が溶けてゆくようなものである。そして作為のないという視点では、切り出した原木のように素朴で、一方で広々とした谷のように、すべてを包み込む包容力を持っている”…のようなことです。

それを踏まえ孔子も

「一つの卦象に固執することなく、之卦を見たり互卦を取ったり、綜卦や錯卦を以て物事の変化をとらえ、採るべき思慮行動、またその未来を予測する。これが易経を通じ人間がそれを活かし、同時に天地の生成化育の活動に共に参じ、その働きを扶け、時に促進する。それが人間に課せられた使命なのだ

と説いているのです。

「五行易」講座開設のお知らせ
「五行易」入門講座開設のお知らせです

⇊繋辞上伝を読み解く⇊

易経「繋辞上伝」を読み解く32
繋辞上伝第10章第5節易経に対する孔子が抱いた思いもいよいよ核心部分に入ります。、
Pocket

コメント

タイトルとURLをコピーしました