易経「繋辞下伝」を読み解く1
繋辞上伝に引き続き、繋辞下伝の読み時を進めていこうと思います。
「八卦列を成して、象その中に在り。因りてこれを重ねて、爻その中に在り。剛柔相推して、変その中に在り。辞を繋けてこれに命じ、動その中に在り。吉凶悔吝は、動に生ずる者なり。剛柔は、本(もと)を立つる者なり。変通は、時に趣(おもむ)く者なり。」(繋辞下伝第1章第1節)
易経繋辞上伝は主に易の成立、その伝えようとしている本質、その意義を概略的に解くのに対し、繋辞下伝は上伝と同じく12章の構成に在り、主に64卦の形成の意義。また各卦の爻辞よりその吉凶解釈の由来を詳らかにし、上伝では明らかにされなかった64卦発展生成の様子と、卦内の各爻の相互のかかわりなど、易経の法則性を明らかにしていきます。
上伝と同様に第2章と第5章では64卦を例として引き合いに支、その発展生育のありさまと、易の法則性を証明しようと試み、上伝、下伝共に合わせ読むことで孔子が「韋篇(いへん)三(み)たび絶(た)つ。」ほど熟読、黙考し理解に至った真理を示します。
64卦の上経と下経同様に上伝、下伝も一筋の糸で編まれた様に、理路整然と通(亨)った格調高い文章です
古代の文書は、漢代に紙の発明に至る以前は、竹簡に書かれていたものですから、時代とともにその竹簡同士を止め繋いでいた紐が切れ、その順序が散逸混在してしまった可能性は否定できないものの、孔子が残した上下の繋辞伝は、その構成から同じ内容を繰り返すように見えて、坤為地の初爻「霜を履みて堅氷至る」の心持、一歩一歩その足取りをお確かめながら慎重に読み解いている姿勢が現れています。
読み進んだと思われるところで再び冒頭に戻る、その繰り返しは上下の繋辞伝を以て易の循環を象徴しているようで大変興味深い。またその繰り返しは決してそれ以前の繰り返しに終始することなく、その循環の輪は以前のそれよりも大きく、力強く表現する。
ここに孔子の真意、自身が悟った「易の真理」に誤りはないのか?の確認の作業を冒頭に戻ってまで確認し、確信に至った深い感慨とともにそれを文として表す、孔子自身の心内を推し測ることができるような構成なのです。
「 八卦列を成して、象その中に在り。因りてこれを重ねて、爻その中に在り。剛柔相推して、変その中に在り。辞を繋けてこれに命じ、動その中に在り。 」
「八卦は陰陽両儀から四象と各々系統だてて発展し、八卦を以てこの世のあらゆる現象を表すのでる。八卦の構成は陰(- -)陽(—)の重なりであり、その一つ一のつを爻と言い、これがそれぞれの八卦の表す現象の原因であり、原動力である。従って陽は陰に、陰は陽に変化したり、陰陽が交わることで八卦もまた変化するのである。また八卦同士を重ねることで、卦象へと進化し八卦だけでは表すことのできない天下のあらゆる現象を深く細かく網羅する。(一方で聖人は)八卦及び64卦象に言葉を掛けて、名をつけることによりその変化のありさま“吉凶”を以て読み解くのである。」
「命じ」の解釈、ここで解説書によっては「易経はそもそも吉凶を以て万民を教導するために書かれたものであるから、“命”は命令の命であって、吉凶を以て万民の行動の範とする」の様な解釈です。
しかしこの「命」は「名」であり「命名」であると解釈したい。
「道の道とす可きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず。」(老子道徳経第1章)
老子がこう評したように、聖人は易の卦象に「名」をつける必要があった。それらがどのような過程を以て形成され、どのようにしてこの名をつけたのかを、まず道筋として示さなければ吉凶を断じるに至りませんし、吉凶の因たるを知り得ません。
易経を占いとして用いるのであれば“吉凶”を知るを以て事足りますが、大切なことは“吉凶の循環”という易の法則(宇宙の法則)を人間自身が感じ、体得し理解することにその目的があると、繋辞上伝で孔子が解説してきた所でありますから、この句の「命」は命令では狭義。
名を付け、その名の由来である卦の生成発展の過程に理解が無ければ、その卦に掛けられた“吉凶”の因がわからず、ただただ盲目的にその文字だけに従うことになります。これでは「易経を活かす」という本来の目的には至りません。
「 吉凶悔吝は、動に生ずる者なり。剛柔は、本(もと)を立つる者なり。変通は、時に趣(おもむ)く者なり。 」
「(卦辞や爻辞に見える)吉凶悔吝とは 、その(卦象の)変化のありさまを表しその理解を促すことで、その時にあたりどのように行動すべきかを人間に示すのである。剛(陽)と柔(陰)は易の根本である。(だから易の卦象を構成する各々の爻の)変化や交わりが、その時の易の法則に適った変化であるから、この吉凶悔吝を以て行動の規範とするのである。 」
この句を以て初めて「者」と人格を帯びる。
従って前の句は易の卦象の生成発展の理解無くして、吉凶悔吝を人間が正しく理解することは不可能です。ゆえに孔子もこの第1章に続く2章で具体的に卦辞を引き合いに、その卦象の生成発展の解説に充てています。
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