易経「繋辞下伝」を読み解く16
繋辞下伝を読み解く 第5章1節
易経「繋辞下伝」を読み解く17
日往けば月来り、月往けば日来り、日月相い推して明(めい)生ず。寒往けば暑来り、暑往けば寒来り、寒暑相い推して歳(とし)成る。往くとは屈するなり、来るとは信(の)ぶるなり。屈信相い感じて利生ず。(繋辞下伝第5章第2節)
「日往けば月来り、月往けば日来り、日月相い推して明(めい)生ず。寒往けば暑来り、暑往けば寒来り、寒暑相い推して歳(とし)成る。往くとは屈するなり、来るとは信(の)ぶるなり。屈信相い感じて利生ず。」
「日が沈めば月が昇り、月が沈めば日が昇る。日と月がたがいに移り変わって昼夜を照らす。寒さが往けば暑さが来る、暑さが往けば寒さが来る、寒さと暑さがたがいに移り変わって一年の季節は巡るのである。往くとはかがむことである、来るとはのびることである。ただし屈むことも伸びることもそれが永久的に続くことは無く、その反作用としてのお互いが作用しあう。かがんでのびることをたがいに感じてることで物事はより良く作用するのである。」
この説は、易経における四季の巡りと1日の昼夜の巡りを解説します。日とは八卦に例えれば離(火)で、月は「坎(水)」です。この説の解説には、後天図を合わせ見ると理解が進みます。
方位で表せば「坎」は北にあたり、「寒冷」を表すのでこれを冬に充てます。一方で「離」は南であり「暑熱」を表すので夏をこれに充てます。一方で「離」は「明」ですからこれを一日の時間軸では昼に充てる。それに対し「坎」は「陥」で日没を意味し、一日の時間軸ではこれを夜に充てます。
この節は前節の「沢山咸」の4爻の爻辞を引き合いに、禍福は一時的な物であり、禍の時は身をかがめる様に嵐の通り過ぎるのを待てば良いし、福の時は大いに伸長、伸展を期すれば良い。植物の生育を見れば、厳冬期に在っては地中の根に養分を蓄え休眠し、春になれば一斉に芽を伸ばし枝葉をのばすように、吉凶に一喜一憂することなく、易経の自然の摂理に照らして物事をとらえれば、何ら憂えることなど無いのだと、前節を強調します。
「五行易」講座開設のお知らせ
「五行易」入門講座開設のお知らせです
コメント