易経「繋辞下伝」を読み解く25
子曰く、幾(き)を知るそれ神か。君子は上交して諂(へつら)わず、下交してけがれず、それ幾を知れるか。幾は動の微(び)にして、吉(凶)のまず見(あら)わるるものなり。君子は幾を見て作(た)ち、日を終うるを俟(ま)たず。易に曰く、介(かた)きこと石のごとし、日を終えず、貞にして吉、と。介きこと石のごとし、なんぞ日を終うるを用いんや。断じて識(し)るべし。君子は微を知り彰(しょう)を知り、柔を知り剛を知る。万夫(ばんぶ)の望みなり。(繋辞下伝第5章第10節)
「子曰く、幾(き)を知るそれ神か。君子は上交して諂(へつら)わず、下交してけがれず、それ幾を知れるか。幾は動の微(び)にして、吉(凶)のまず見(あら)わるるものなり。君子は幾を見て作(た)ち、日を終うるを俟(ま)たず。易に曰く、介(かた)きこと石のごとし、日を終えず、貞にして吉、と。介きこと石のごとし、なんぞ日を終うるを用いんや。断じて識(し)るべし。君子は微を知り彰(しょう)を知り、柔を知り剛を知る。万夫(ばんぶ)の望みなり。」
「孔子はいう、兆しを知ることそれは陰陽の作用を知ることであろうか。
君子は上と交わって媚びへつらうことなく、下と交わって見下したりあなどることをしない。尊敬信服することと媚びへつらう事、また親しみと狎れることは一見すると似ているが、その実は大きく異なるものである。
その区別を明確に成せる君子であるならば、その兆しに氣付くであろう。
兆しとは、その変化は微かにして、吉凶に先立って現れるものである。君子は、その兆しを感じ、あるいは見て動作をおこし、その物事を成す絶好の機会を逃さない。
雷地豫の二爻にいう、“物事に動ぜず、享楽に身を任せず、その意志かたいことはまるで石のようである。その思慮は聡明で、兆しを察し絶好の機会を失わず吉を得るであろう”と言う。
確固不抜の意志を打ち立てたのであれば、どうして行動に移すに躊躇するであろうか。言うまでもなく吉、幸いを得る。
このように君子は微細な変化を察知し、その変化の行く末を明らかにし、柔軟な思考を持ち大胆に行動する。だから衆望の耳目を集め、信望を集めるのである。」
「感じる」事が易経の本質である
易経に通達するということは、かけられた言葉を経文の様に暗記したり、そこにかけられた言葉の吉凶悔吝の言葉から物事を断じるのではなく、卦象全体、また内包する互体から感じ取る…それができて初めて易経の本質に迫ることができます。
とかく知識や技術を一定以上極めると、自分自身を限ってしまったり、驕り高ぶったり、自身より下位のものを侮ったりするものです。
松下幸之助は自らを「素直の初段」と位置づけ、終生周囲の人、能力や地位の高低に関わらず学び続けることをやめませんでした。
孔子はこの様子をその著作「大学」でこのように説きます。
上に惡(にく)む所を以て下を使う毋(なか)れ。下に惡む所を以て上に(つか))うる毋れ。 前に惡む所を以て後に先んずる毋れ。後に惡む所を以て前に從う毋れ。 右に惡む所を以て左に交わる毋れ。左に惡む所を以て右に交わる毋れ。 此を之れ絜矩(けっく)の道と謂う
“仕えている上の者を快く思わなかったり、疑う所がある時には、(下の者の心を推し量って)自分がそのような方法で下の者を使わないようにする。
自分に仕えている下の者を疑ったり、信を置けないような時には、(上の者の心を推し量って)自分がそのような態度で上の者に仕えないようにする。
前任の人を批判したり、疑義をもって思う時には、(自分の後任の者の心を推し量って)自分がそのようなやり方で後任に引き継がないようにする。
後任の人を疑ったり、信が置けないと思う時には、(前任の者の心を推し量って)自分はそのような方法で前任者に当たらないようにする。
右の者の不善を憎めば、その不善を左の者に施さないようにする。左の者の不善を憎めば、その不善を右の者に 施さないようにせよ。
これを君子の行うべき絜矩の道というのである。”
他者の行いや言動を批判することはたやすい、しかしそこから己を省みて自身を律することができる人物はなかなかいません。しかし、それができて初めて君子たり得ると孔子は説きます。
謙虚の初段たれ…
自分に関わる周囲の人から学ぶ。そしてそれができるのであれば、物事の微細な変化にも氣付くであろうから、事前にその兆しを察知して、物事の行く末を案じ、機を逃さず行動に行動に移すのだから幸を得られる。その様子を見て周囲の人は安堵し、信望の眼差しでその人物を眺めるのです。
易経を活かすということ、それは頭で認識する以前に感じる肌で感じるざわつきや、直感的に感じる心地よさ、反対に居心地の悪さであったり、全身全霊でキャッチする感覚なのです。
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