易経「繋辞下伝」を読み解く29

易経繋辞伝
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易経「繋辞下伝」を読み解く28
繋辞下伝第5章第13節

易経「繋辞下伝」を読み解く29

子曰く、乾坤それ易の門か。乾は陽物(ようぶつ)なり。坤は陰物なり。陰陽徳を合わせて剛柔体(たい)あり、もって天地の撰(こと)を体し、もって神明の徳に通ず。その名を称すること雑(ざつ)なれども越えず。於(ああ)その類を稽(かんが)うるに、それ衰世(すいせい)の意(い)か。(繋辞下伝第6章第1節)
「子曰く、乾坤それ易の門か。乾は陽物(ようぶつ)なり。坤は陰物なり。陰陽徳を合わせて剛柔体(たい)あり、もって天地の撰(こと)を体し、もって神明の徳に通ず。その名を称すること雑(ざつ)なれども越えず。於(ああ)その類を稽(かんが)うるに、それ衰世(すいせい)の意(い)か。」

「孔子はいう、乾為天と坤為地の卦は、易経が紬出される門のようなものだ。

乾は陽であり、坤は陰である。

陰と陽が各々の徳(発展生成と還元再生)を合わさる事で八卦が生じ、八卦の剛(陽卦)と柔(陰卦)が合わさり卦象(かたち)として体を成すものが生じ、これらが集まっり、64卦を以て我々人間も含めたこの自然というものが形成される。世界に存在するあらゆる事象は、全て64卦の陰陽の作用に集約されるのであり、これが易経の大元である「生成化育」という至善の徳に通じる。

この事象を表現するに名付けられた64卦の卦名や、そこに掛けられた各々の卦の卦辞、爻辞に現れる言葉は、時として唐突であり、脈絡を感じさせない物もあり、一見すると繁雑にも見えるが、決して易経の表す摂理道理から逸脱するものではない。

ああ、その掛けられた辞(言葉)に想いを致すと、それは文王も感じていたであろう衰えた世(殷末)を憂える思いが彷彿とさせられるのである。」

易経の陰陽の作用を“門”に例えるのは、繋辞上伝の11章にも見えるところです。

易経「繋辞上伝」を読み解く36
易経繋辞上伝を読みとく易経と人間の相関関係。孔子は積極的に、一方で老子は受容的です。

一方で老子もまたこの働きを、自身の著作の冒頭に引用します。

道の道とすべきは、恒なる道に非(あら)ず。名の名づくべきは、恒なる名に非ず。名無きは万物の始めなり。名有るは万物の母なり。故に恒なるものに欲無くんば、観(み)るに以てそれ眇なり。恒なるものに欲有るにいたれば、観るに以てそのところ曒(あきらか)なり。両者は同じく出でて、名を異にするも謂うところ同じ。玄(げん)のまた玄、衆妙の門なり。(老子道徳経第1章)

老子もまた、陰陽交わり生じた事物に与えられた名が付く物を「万物の母」と称し、これが64卦の卦名と、卦辞や爻辞を表します。

「ここで私(老子)が述べる“道”というものは、世間一般にある道の事ではない。

太極から万物が生じる陰陽の、その尽きることの無い作用のことを指す“道”( 恒なる道 )をいうのである。

これは“名”においても同様で、我々人間が仮に名付けたようなものではなく、ここで私が述べる“名”は古の聖人が陰陽交わって生じる所を表した、八卦や64卦象のことを言うのである。

そもそも、太極より陰陽が生じる以前は、そこに“道”も“名”も全く無いのであり、見るはおろか感じることも難しいのである。

宇宙の織り成す生成化育という法則は不変であり、とらえどころがないのであるが、一方で物事は陽的な“発展生成”と陰的な“還元再生”とに、時として激しく変化するが、結局は同じことである。

すべては太極から生じた陰陽の作用が成せる業であり、物事の根本が生じる門のようなものである。」

乱れた世に生きた文王と自らの境遇を重ねる孔子

ところでこの繋辞下伝第6章の最後、「衰世」の解釈が難解です。

孔子が易経の本質が「変化」にあることを悟り、あらゆるものは栄枯盛衰と同じ道をたどることへの深い感慨と共に紡ぎ出された嘆息、一方で易経に辞を掛けた周の文王の生きた殷王朝末期と、孔子自らが生きている乱れた世に文王と自らの姿と重ね合わせた時に思わず漏れた嘆息であるのか?

孔子の心中には深い憂慮の念と共に、易経の紡ぐ変化の法則に何ら逸脱や遺漏が無い事への感慨めいた複雑な感情が込められた表現であるような氣がします。

繋辞上伝の第2章第3節には「この故に君子は居ればその象を観てその辞を玩び、動けばその変を観てその占(せん)を玩ぶ。」とあり、平時においては易の卦象より変化を感じ、またそこに掛けられた卦辞より大意をつかみ取り、有事においては卦象の細部、則ち爻の変化より吉凶を断じ、かつそこに掛けられた辞を深く味わう…と孔子は述べます。

卦象の卦辞においては、仮に凶という辞が掛けられていても、その時に取るべき行動の指針が説かれています。一方で爻辞の表すところは全て「結果」としての辞であり、その結果を以て吉凶と評価します。

おそらく周の文王が易経に言葉を掛けた時、吉の卦・凶の卦共に、それがなぜ吉であるのか?凶であるのか?という結果の積み重ねという作業を行ったはずです。人間孔子同様に、文王もまた同じ人間であるからそういった作業の過程において、文王自身が経験していたであろう殷の紂王からの加害、迫害の辛い経験が述べられた爻辞に触れるにつれ、孔子の文王に対するいたたまれない気持がこの「衰世」の言葉として表れたのではないかと推測します。

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