易経「繋辞下伝」を読み解く38
「易の書たるや、初(はじめを原(たず)ね終わりを要(もと)め、以て質と為すなり。六爻相い雑(まじ)わる。唯(た)だ其れ時の物なり。其の初は知り難く、其の上は知り易し、本末なればなり。初の辞は之に擬(なぞら)え、卒(おわ)りは之が終わりを成す」(繋辞下伝第9章第1節)
「易の書たるや、初(はじめを原ね終わりを要め、以て質と為すなり。六爻相い雑わる。唯だ其れ時の物なり。其の初は知り難く、其の上は知り易し、本末なればなり。初の辞は之に擬え、卒りは之が終わりを成す」
「書物としての易経は、そもそもあらゆる万物や事象が、何を発端としてそれが生じたのかという原因を求め、そしてあらゆる万物や事象の行く末を探る、ここにその本質がある。
卦象を構成する6つの爻は、それぞれ陰爻(- -)陽爻(—)が交雑して変化する。これは、その卦象においてどのような時に中り、何を成すべきかを表しているのである。
卦象において初爻はまだその時が始まったばかりであり、その変化は兆しのような微細な物であるから判然としない。
一方で上爻に至る時は、その卦象の変化というものははっきりと表れ、既に次の変化へと移行する兆候が表れている。これは初爻が卦象の初めであり、本であり、上爻が卦象の極み(終わり)であり、末であるからである。
だから初爻に掛けられた辞(ことば)は慎重であり。一方で上爻の辞は大胆なのである」
経験より学ぶ、経験を積み重ねる
易経は「統計学」です。
あらゆる万物事象が辿る道筋を明らかにし、その上で取るべき方策や、道筋を指し示します。
この説の末文において、「初爻の爻辞は慎重」「上爻の爻辞は大胆」と解釈したのは、植物がその芽を発芽させる時は極めて慎重であり、動物の子が生まれてすぐに立ち上がる際は不安な表情を見せるのと同様に、その変化の初めにおいては、どのような行動をとるべきか、手探りの様子、あるいは謙虚な様子が現れた爻辞が多いです。
一方で晩年を迎えた人が自身の人生をしみじみと省みる様に、上爻の爻辞は既に達せられたその卦象の時を省みたり、その上でそれより先へと推し進めることを戒めます。
省みる時、総括する時の口調は断定的で、大胆ですが一方でその次の変化に至る際の繊細さを哀愁を以て含め匂わせます。
これをもっと大きな流れで読み解いても同様な解釈ができます。
易経64卦の大始の卦「乾為天」の初爻は「潜龍用いる勿れ」…と事を行うにあたり能力も経験も不足しているのだから、その準備を怠るなと戒めています。
一方64卦最後の「火水未済」の上爻は「飲酒において孚(まこと)あり」と物事の帰結成就を「果報を寝て待つ」ことを高らかに謡い勧めています。
その辞は明らかに始めは「用いる勿れ」と極めて慎重で、結末に至っては「酒でも飲んで待て」と実に大胆です。
易経の成り立ちは、一朝一夕で成立したものではなく、幾星霜の時の積み重ねの中から先人先哲の膨大な経験、実体験に基づく物の集積です。
この世のあらゆるものを構成するDNAは、その寿命は1000万年と最新の物理学で実証されています。あらゆるDNAは過去の実体験を記録し、記憶しいます。
易の卦象がDNAの塩基の配列に似ているのは、そのDNAが記録、記憶したものを視覚化したものだとも想像できるところ。
易経に言葉をかけた文王や、それを解釈補足した孔子がDNAの存在を知っていたのかは定かではありません。
しかし、物事の成り立ちと、人間の魂を含めたあらゆるものの成長を易の卦象になぞらえた時、その記憶・記録が残されたところ、則ち上爻は大胆であり、一方で始めは手探りでゆっくりと堅実着実である…このように解釈したことはごく自然な成り行きだと思うのです。
コメント