易経「繋辞下伝」を読み解く44

易経繋辞伝
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易経「繋辞下伝」を読み解く43
繋辞下伝第12章第1節

易経「繋辞下伝」を読み解く44

「能(よ)くこれを心に説(よろこ)び、能くこれを慮に研(みが)き、天下の吉凶を定め、天下の亹亹(びび)を成す者なり」(繋辞下伝第12章第2節)
「能くこれを心に説び、能くこれを慮に研き、天下の吉凶を定め、天下の亹亹を成す者なり」

「乾も坤も、自ら剛健と柔順の徳を併せ持つし、またそれぞれが各々の性質を十二分に生かしながら、横たわる困難をあらかじめ避けたり、それを除去しながら進む様子は、もし人間がそばでその様子を見ているならば、非常に簡単に易々と乾も坤もそれを行う様子をうかがい知ることが出来るだろう。

その上で、もし人間がその乾と坤の働きが共に“至善”であることを知り、その理法をさらに深化させてこれを活かすのであれば、天下のあらゆる変化の行きつく先、行く末の吉凶を断じ、その成就に向かって努力を惜しまず、自信を以て自らの力を注ぎこむことが出来るであろう。」

“絶対肯定”の宇宙の法則

陽=吉=生成発展、陰=凶=還元再生であると、これまでの読み時で定義してきた所です。

易経の卦辞や爻辞に見える「吉凶」は、時として「善悪」で判断されるところがありますが、吉=善、凶=悪と判断することは、いかにも浅い易経の理解です。

むしろ吉凶を以て善悪の断を下すのであれば、吉の流れの中にあって凶の働きを以てその足を引っ張ったり、凶の流れに逆らって吉であり続けようとすることを悪としてとらえ、それぞれの流れに従って行動、対処することを善とすべきです。

あらゆるものは、人間の価値観を超えた所でその吉凶の作用を繰り返しているのであり、目に見える、耳に聞こえるような、快か不快かのような浅い判断を以てこれを断じるわけにはいかないのです。

易経の働きはその吉の時にあっても、凶の時においても其の赴くところは究極的な事物の「生成化育」という至善にあります。

言い換えれば「絶対肯定」であり、常に進行であり後退はあり得ないのです。人間の目に見える範囲内において後退に見えても、長い目で、長い時間軸でとらえた時、その交代に見える現象も、進行の中の一環、一過程なのです。

だから、易経を活かす者、この吉凶への理解を正しくし、一元的な善悪の基準でこれを用いてはならない。

わずか20字足らずの一節の中に込めた孔子の易経への理解、繋辞下伝も残す辞もわずかでありますが、一文、一字の中に孔子の坦懐、感慨の息吹を感じる所です。

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