易経「繋辞下伝」を読み解く48

易経繋辞伝
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繋辞下伝第12章第5節

易経「繋辞下伝」を読み解く48

「変動は利を以て言い、吉凶は情を以て遷る。是の故に愛悪(あいお)相い攻めて、吉凶生じ、遠近相い取りて、悔吝生じ、情偽相い感じて、利害生ず。凡(およ)そ易の情近くして而も相い得ざれば、則ち凶。或いは之を害し、悔い且つ吝なり」(繋辞下伝第12章第6節)
「変動は利を以て言い、吉凶は情を以て遷る。是の故に愛悪相い攻めて、吉凶生じ、遠近相い取りて、悔吝生じ、情偽相い感じて、利害生ず。凡そ易の情近くして而も相い得ざれば、則ち凶。或いは之を害し、悔い且つ吝なり」

「易経には64卦、384爻が様々変化し、その吉凶の変化の過程と帰結が説かれているが、これはこのまま人間にとりこれが行動の吉凶の指針となるのである。

卦象の一爻、一爻にはそれぞれその時の情意が込められており、これが隣接する爻同士や、初爻と四爻、二爻と五爻。三爻と上爻の応ずる関係において、比和する関係であれば“愛”衝突するときを“悪”で、ここより吉凶が生じ、あるいは応を取って比を捨てたり、比を取って応を捨てることから“悔”や“吝”が現れる。

また爻同士の関わりが真実がある関係であるのか、偽りの関係であるのかによって利害関係が現れる。

このように易の卦象、一爻一爻に込められた情意というものは、例えば隣り合った爻同士でも陽爻(—)同士、陰爻(- -)同士ならば反駁しあって凶であり、隣り合う爻同士が陰爻(- -)、陽爻(—)で比していても、比の関係を通り越して応の関係を求める時は、時に比する関係の爻から邪魔をされることが“悔”、あるいは反駁されることが“吝”となって現れるのである。」

爻の応比の関係

易の卦象の各爻に人間関係のような“情”を込める。

ここには、易に辞を掛けた文王の情意が込められており、孔子もまたそこに文王の感情の機微を感じたのではないでしょうか?

ここで孔子の説く“比する関係”とは、初爻と二爻、二爻と三爻…のように隣り合う爻同士で、隣り合う爻が陰爻(- -)、陽爻(—)であればここに陰陽の交わりが生じるので互いに求めあって“愛”とする、一方で同じ陰爻(- -)同士、陽爻(—)同士であれば陰陽交わらずお互いに憎みあう形であるので“悪”と説きます。

“応じる関係”とは、初爻と四爻、二爻と五爻、三爻と上爻の関係を持た時、比する関係と同様に互いのペアとなる爻同士が陰爻(- -)、陽爻(—)であればここに引用交雑する関係が生じ、これを“応じる”と説き、陰爻(- -)同士、陽爻(—)同士であれば“不応”です。

ここに人間関係の様に各爻に“情意”を持たせると、隣り合う爻同士に比する関係を通り越して応じる関係をっ求めれば、比する関係の爻から嫉妬されたり、邪魔をされる関係が生じます。

あるいは応を無視して比する関係を求めれば、応ずる関係の爻にとっては面白くない。特に比する関係よりも応じる関係は、上卦下卦の交わりとなるので、人間関係においては上下の身分や地位の相違を表す関係が多いのです。

応じる関係をおざなりにして比する関係を重視することは、結果自身の立ち位置を損ねることにもつながり、これを以て“悔い”が生じたり、その行為そのものにケチ“吝”が付くのです。

専科の「五行易」は、この爻に五行や12支を割り振り、五行同士の生や剋の関係、合や冲の関係を用いてさらに情意をくみ取りますから、非常に“人間臭い”読み時が可能となります。

易の卦象において断じていたところのものに、文王が言葉をかけ、更に孔子がそこに言葉をかけたのは、時代が進み文明の発達とともにより複雑になった人間社会のあり様を明確にしようと、易の卦象を人間の感情、情緒を以て判断すとこのように解釈できる…という文王や孔子自身が見聞き、体験した経験則がある種の人生訓となってかけられているのでしょう。

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