易経「繋辞下伝」を読み解く6
縄(なわ)を結(むす)んで作(な)して罔罟(もうこ)を為(な)し、もって佃(かり)しもって漁(すなど)るは、蓋(けだ)しこれを離(り)に取る。(繋辞下伝第2章第2節)
「 縄(なわ)を結(むす)んで作(な)して罔罟(もうこ)を為(な)し、もって佃(かり)しもって漁(すなど)るは、蓋(けだ)しこれを離(り)に取る。 」
「伏羲氏は、縄と縄を編んで“網”を考案した。これを使って鳥獣や魚を採った。おそらく“網”というものは“離為火”の卦象より考案した者であろう」
易経の「離為火」の卦象は確かに網の目のように見えます。また八卦の「離」の象意である「麗」には「つなぐ、かける、かかる」の意味がありますから、これを以て獲物を捕ると解釈が可能です。
二爻、三爻、四爻で「巽」の互体が取れ、「入り込む」という象意から獲物が網にかかる様子、一方三爻、四爻、五爻で「兌」の互体を取って「よろこび」の象意より、獲物獲得を喜ぶ様子をくみ取ることができます。
とかく、易経を占いのテキスト、あるいは哲学の書として位置付けるとスピリチュアル、「心が先」の唯心論としてとらえられがちですが、易経はこの繋辞下伝のこの一節を見ても明らかなように「唯物論」に徹しています。
伏羲が考案した「八卦」は、伏羲が実際に目の当たりにした気象や現象、また地勢を以てそこからその意味するところ、表すところを想像し考案したのですから、八卦の表す象意よりも先にその八卦を表す事象が存在していた、則ち「物が先」で唯物論なのです。
卦辞・爻辞を超越する孔子の解釈
これより孔子はこの節以降、人間が生活を営むに必要な道具、技術の数々の発明が易に由来することを、64卦の卦象を以て証明を試みます。
しかしここで一つの矛盾が生じます。
物より先に易の八卦があり、64卦があった。
その八卦及び64卦に、発明された数々の道具や知識の、その由来を求めた時、以下の孔子の解説は、易経に掛けられた辞とは明らかに乖離する理を用い、道具や技術の持つ性質に結び付けています。
確かにここで引用する「離為火」象(形)を“網”に見立てるという解釈は筋道が通っていますが、一方で易経に言葉を掛けたのは周の文王です。
その卦辞や爻辞と、孔子が求めた発明や道具の理を易に求めた解釈で生じる矛盾や対立する所に、何ら疑問を抱かなかったのか?
この節の伏羲、続く神農や黄帝、堯・舜・禹等が考案した道具や技術の数々それぞれに名前があったと思います。
所が孔子は、周の文王やその子、旦がが解釈した卦辞や爻辞の意味するところのものを通り越して、64卦を構成する上下の八卦の組み合わせや象(形)をもって、古の聖人たちが作り出した技術や道具の起源を求めます。
これは孔子独自の想像によるものでしょうか?あるいは、周の文王が残した易経に、今に伝わらないその意味する所の注釈等が存在したのか?
これら過去の聖人たちが残した知識や技術、道具の特性や意味を汲んで、その上で文王が卦に名前をつけたのか?さらに民間に流布している雑伝や伝承のようなものを、孔子自らがふるいにかけて取捨選択したのか?
孔子自らはそのような裏付けを繋辞下伝では明らかにしません。そういった意味では以下のこの章は少し特異な趣です。
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