易経「繋辞上伝」を読み解く32
易は、聖人の深きを極めて幾を研(きわ)むる所以也。惟(た)だ深き也。故に能く天下の志を通ず。惟(た)だ幾(き)也。故に能く天下の務(つとめ)を成す。惟(た)だ神(しん)也。故に疾(と)くせずして速やかに、行かずして至る。子曰く、易に聖人の道四つ有りとは、此(こ)れの謂(いい)也。(繋辞上伝第10章第5節)
この節は、易経を細部まで読み込んだ孔子の深い洞察と、その考察から至った孔子の悟りの境地を改めて感嘆とともに説いています。
「 易は、聖人の深きを極めて幾を研(きわ)むる所以也 。 惟(た)だ深き也 」
「そもそも易経とは、易経を編んだ伏羲をはじめ、その後の 尭・舜・禹、周の文王、周君旦に至る 数々の易経に通じた聖人の深い洞察と機微に通じたものの集大成である。先人たちがその生を営んできた、膨大な事実の積み重ねでもある。」
この句の「深」の字に焦点を当てたい。「深」の偏を「手偏」に変えれば「探」であり、手は陰陽の働きを活かし、その上で環境を整える役割を担う人間の象徴でもあります。
易経を編んだ伏羲が、その宇宙の法則を易経を以てつぶさに顕し、それに精通した伝説上の尭(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)を始め、周の文王、其の次男である周君旦に至る、後の世の聖人たちが至った道筋、これはすなわち「探求」を重ねた上で至った「深層真理」と孔子は説きます。
「幾」は兆しであり、かすかな変化。これが「氣付き」であり「閃き」でもある。また「研」は結果の積み重ねの“統計”であり、過去の膨大な事例の積み重ねから、物事の行く末を断じる易経の性質でもあります。
この“統計”こそが、今に伝わる数ある占術の根底にある物で、そもそも占いとは“統計学”なのです。
「 故に能く天下の志を通ず。惟(た)だ幾(き)也。故に能く天下の務(つとめ)を成す。 」
「聖人は、易経(宇宙の法則)の原理原則を理解しているから、目の前で繰り広げられる事象の起伏に惑うことなく、その小さな変化をも見逃さない。だからつねに未来を予見し、時代を先取りしてその方向性や、進むべき道を詳らかにする」
とらえどころもない自然が織りなす事象の数々を表す一つの手段に「データ」があります。数字の表すところの物は、人間の私情を挟まないある種冷徹なところがありますから、悪用されなければその数字が伝える情報は現実味を帯びます。
ただ、現実社会の置いてはしばしば数字が独り歩きし、誤った未来を指し示すことがままあります。「21世紀に至るまでに石油資源が枯渇する」80年代のという統計上の結論は結果的に誤っていましたし、「世界経済が活性化することで“貧困”の問題は解決できる」という自由主義経済学者の統計上の理論も、今は破綻しています。
何が誤っていたのか?
そこに欠如してる点が、この句の「志」の一字に込められています。この一句「志」でも「天下」のという形容がありますから、これは「天下の志=宇宙の法則」にほかなりません。
宇宙の法則は、人間がそれと認知する時にはすでに次の段階に移行している。それはほんのかすかな「兆し」として現れてはいるが、人間の大多数はその兆しに氣付かないのです。
その微小な変化に氣付く人こそが易経の原理を体得し、本質に精通した「聖人」であることは言うまでもなく、その聖人の言動や行動こそが次の時代の指針であり、あるべき方向性を示すのです。
しかるに「石油危機」を煽ったり、自由主義経済の旗を振った「学者」たちにその易経(宇宙の法則)に根差した理解はあったのか?そこに人為的なデータや論拠となる事象に、人為的な改ざんが行われていたのではないか?…という疑念は拭い去ることができません。
「 惟(た)だ神(しん)也。故に疾(と)くせずして速やかに、行かずして至る。子曰く、易に聖人の道四つ有りとは、此(こ)れの謂(いい)也。 」
「(前句を受けて)だから、その聖人の表す方向性や道程・教えは、循環の流れ、活動をとめない宇宙の活動(易)そのものであり、速くもなく遅くもなく、当に絶妙の機会にそれが示される。それは聖人が常に、物事の変化の兆しというものを、易経の“辞”になぞらえ、それを“象(形)”として理解し、それが変化する様(之卦、互卦、綜卦、錯卦)に当てはめ予測し、それでもなお理解に苦しむときは占ってその問いを探求する“易経が示す四つの道”を実践しているからである」
この一句にある「神」は神であると同時に「新」と読みたい。
苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり(大学)
殷王朝の創始者である湯王が毎朝洗顔した水瓶に刻んであった一句がこの「新」であり、日々変化すること、生成化育であり還元再生という留まることのない循環こそが易経(宇宙の法則)の本質です。そこには人為意識する「早い、遅い」や「…であらねば」という強制力もない。ごくごく自然体でその「結果」に至る。これが老子の表現する「微妙玄通」であり、自然(宇宙)の働きであります。
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